あたしの黙示録 (佐藤)

37号 童話の天文学者

現実世界の時計の針が刻む秒と秒のあいだに、或るふしぎな黒板が挟まっている。そのものはたいそう薄い。肉眼ではみとめることができない。けれどもそれらの拡がりは宏大無辺である。かりに「夢の板」と名づける。というのは、この超絶的な存在をもって、古い記録にあるようにこの現実界にもまださまざまなふかしぎが発生していた頃、空気中にまじって一面にひろがっていたファンタシューム化合物が、そんな眼に見えぬ結晶となったものだ、と自分は解釈するからである。故に昔、電気のように四辺に充ちて樹木や山や水や、生物体に作用していた夢が凝結したものであるところのそれら黒板中には、いまもって吾々にはうかがい知ることを許さぬワンダーが発生しつつあるはずである。肉眼で見えぬものを何によってみとめるか?一口に云うなら、それは、まっすぐに進む者には見えない、けれども、よこを向いた者には見られるとでも云う条件の下にある。しかし、それが眼にとまる角度は非常に微妙な所にかかっている。ふつうによこを向いた者には見られない。すなわち、古来からこの超絶的存在物をうかがい得た者、千万人中の一人だと云えると共に、何人も毎日幾十回幾百回となく繰返してそれを見ているが、ただそのことを意識しないのだとされる所以である。

稲垣足穂「生活に夢を持っていない人々のための童話」第三文明社から「童話の天文学者」より

十一月某日 晴れ
塀の上に白猫がいたので近づいてみると老婆の白い頭髪が塀の上から見え隠れしていたりする。マンションのベランダから子どもが手を振っているので振り返しているとプランターに植えられた植物が風に揺られていたりする。道の真中に転がっているダンボールを自転車で踏み潰そうとするとしゃがみ込んで遊んでいる子供だったりする。夜中にコンビニエンスストアの前で細身で長髪のお兄さんがブリッジをしていてこわいな、とおそるおそる横を通りすぎると両耳がふさふさとまるで人毛の様な細くて大きな犬がつながれていたりする。

ふと、視力の問題ではないのではないか?と思ったわけだ。思い返してみれば何も見間違いだけではない。「ダイハード」は「大ハード」で「そうだよねー、ブルースったら超ハードなことやってるよねー」と思っていたし、「ナウシカ」に関しては人間たちに森を奪われ命からがら逃げ延びた母鹿とまだ幼い小鹿、ナウの復讐劇だと思っていたし、全てはアレだ、この豊かな想像力が問題なんだな。と思い至ったわけだが、では、昨日夜中に見た路地裏で中年の男女が半そで半ズボンでお互いを罵り合いながら(日本語ではなかったのであくまで雰囲気だが)バトミントンをしていたのは一体何から生まれた想像物だったのだろうと考えていたら、ずっと伏せをしていた犬が風に飛ばされていってしまったよ。

生活に夢を持っていない人々のための童話
稲垣 足穂
第三文明社
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35号 ミュージック・ブレス・ユー

トノムラはやはり何も言わなかった。が、ちゃんとアザミの方を見て何か目を光らせるような鋭い表情で、じっとアザミの話を聞いていた。
「だからなんやってことはないんやけど、あたしはそういうことばっかり考えてる。それが哀しいなあ、とか、それも人生なんやなあ、とか、両方ともがんばって欲しいなあ、とか、自分は自分がいちばんいいと思える時期のそのバンドのCDを聴けて良かったなあ、とか、でもやっぱり哀しいなあ、とか」
アザミは、もう言うことがなくなってそこで言葉を切った。トノムラが黙って話を聞いていたことが、何か小さな奇跡のように思えた。トノムラはアザミが聴いているものを認めてはいなくて、だから言葉を挟まずにはいられないだろうとアザミはたかをくくっていたのだけれど。
「わかるよ、そういうの」
トノムラは、まったく意外な一言を漏らした。想定外の反応に、アザミはうまくものを考えられずぼんやりしてしまった。
「音楽について考えることは、自分の人生について考えることより大事やと思う」
トノムラは続けた。アザミは、息を吸い込んで神妙に耳を澄ました。話をするようになって初めて、トノムラの言葉にはそうやって耳を傾ける価値があるような気がした。遠くで雷が鳴る音が聞こえた。雨が窓を打つ、鈍い弾ける音がそれに重なっていった。

津村記久子「ミュージック・ブレス・ユー!」角川書店

生まれて初めて買ったCDはカールスモーキー石井と松任谷由実が歌った「愛のWAVE」というCDだった。しかもシングルだ。それはもう好きとかいう話ではなく青春時代のうちにどうやらCDなるものを買わなくてはいけないらしいという焦燥感からであった。周りの友人達は好きなミュージシャンがいるという。夏には野外フェスだという。夜には友人のライブだという。その頃私はとんねるずに夢中だったので聴くのは「雨の西麻布」や「一気」で夜にはオールナイトニッポンだ。それでも私がとんねるずのCDではなく「愛のWAVE」を選択したのは、も、もっとこうなんというかミュージシャンらしいものを〜。という若人としての意地だったのだろう。ちなみに、友人のライブには若人らしく一度だけ行ったことがある。しかし何しろ普段音楽を聞かないので上手いのか下手なのかわからないし人目もはばからずに音楽にノルだなんてあなたそんな恥ずかしいこと出来やしませんよ、こちとら根っからの日本人ですから。と隅っこの方で腕なんて組みながら「ふーん、こういうのやるんだぁ」とちょっと冷めた女子高生という立ち位置で音楽聞かないコンプレックスをひた隠しにしていたわけです。いやね、好きなのよ、音楽。でも私は何かをしながら音楽を聴けないわけでそうなってくると本も読みたい映画も観たいとんねるずが出ている番組はチェックしなくちゃいけないし好きな人のことを考える時間も必要だしということになって自然と音楽に割かれる時間がね。ほらね、青春時代っていろいろ忙しいから。というわけで八月にバンドやります。青春ではなくなって音楽聞けるようになりましたので。どうか、「ふーん、こういうのやるんだぁ」と冷めた目ではなく来てくださる方はノリノリで、何卒お願い致します。

ミュージック・ブレス・ユー!!
津村 記久子
角川グループパブリッシング
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34号 だれも知らない小さな国

思わずはっとして、ぼくは向きなおった。いつも感じる黒い小さなかげと、同じ動きだったのだ。白いと見えたのは、月の光でかがやいたのではないか。ぼくが顔をそちらへ向けると、また横のほうでちかりと動いた。そして、かれ葉が一まい、ゆっくりとうら返しになるのが見えた。それを見ていると、いきなり、ぼくのうしろで、ばらばらっと、小石が山をころがりおりるような音がして、ぼくのせなかにこつんとあたった。手さぐりでひろいあげてみると、青い小さなガラス玉だった。
おどろいているぼくの目の前を、白い小さなかげがきらきらととんだ。とうとうでてきたな!と、ぼくは息をのんだ。からだがひきしまるような気持ちだった。いつかは、こういうことが起こるに違いないと思っていたが、とつぜんのことで、どうしていいかわからなかった。もしかしたら、ぼくのことを、おこっているのかもしれないという心配が、ちらっと頭の中をかすめた。小山にはいる道をつけたのが、こぼしさまには気にいらないのかもしれない。
とにかく、その小さなすがたを見きわめてやろうと、じっとからだをかたくしたまま、いっしんに目をこらした。そのうちに、小さなかげは、くるくるとぼくを中心にしてまわりはじめた。はじめは光る輪のように、それからすこしずつゆっくりになって、三つばかりの点になった。そして、しだいに、小さな人の形がみとめられるようになり、やがて静かにまとまった。

佐藤さとる「だれも知らない小さな国」講談社

四月某日晴れ
むかし住んでいた街に落ち武者の妖精さんと呼ばれている(というか私が勝手に読んでいる)おじさんがいた。落ち武者と形容したくなるような乱れた頭髪とは対照的なムーミンを思わせるベビーブルー(しかしこれはまれにベビーピンクにも変わる)の肌着とステテコ姿にこれまたムーミンを思わせる体型がなんともキュートな彼は夕暮れ時、帰宅途中の道に面した細い路地に二、三ヶ月に一度の割合でひっそりと現れた。妖精は何をするわけでもなくただ道を眺めている。なかなか奇抜な風貌なのでどうしたって目を引くはずなのだがどういうわけか道行く人は誰も驚く様子がない。都会ではいろんな人がいるから誰も気に留めないのだろうかと友人と一緒に歩いている際、現れたので「ねえ、いまのおじさんさあ」と言うと友人は「え?」と言う。「見てなかった」と言う。何ヶ月か後に別の友人と歩いている際、また現れたので「ねえ、いまのおじさんさあ」と言うと別の友人は「え?」という。「見てなかった」と言う。三人目の友人に「え?」と言われて以来もう誰にも話していない。

帰宅途中、公園で三人の忍者が輪になってくるくると回っていた。もう夜だし、黒い格好なのでよく目を凝らさないと見えないがやはり忍者である。忍者は無言で修行中だ。誰の目にも映っているよね、と辺りを見渡せば前を歩くサラリーマンが凝視している。そのサラリーマンはこちらに気付くとへへ、と笑ったのでこちらもへへ、と笑ってお互いに何事もなかったかのように家路に着いた。

33号 ユング心理学入門

第五章 夢分析
夢、およびその分析は、ユング派の分析において中核をなしている重要なものである。しかしながら、「夢の重要性」などと聞くだけでも、非科学的とか前近代的とかの感じが先立ってしまって、馬鹿らしく思われるひとが多いかもしれない。実際、一般には、馬鹿らしい望みを託した考えを、「夢物語」といって非難したりする。このように非現実的な夢を、大切な「現実」として、われわれは心理療法の場面に生かしてゆこうとするのであるが、確かに、これは少しでも誤れば奈落に落ち込んでしまいそうな、現実と非現実の境を歩む危険な仕事である。しかし、今まで第一章から第四章までながながと述べてきたことは、いってみれば、この危険な夢分析の領域に入ってゆくための準備であったとさえみられるもので、これまでの章を読みとおしてこられた読者の方は、それらを手がかりとして、「馬鹿くさい」と感じたりすることなく、この章を理解して下さるものと思う。夢物語などという表現において、夢に対する否定的な態度がみられるといったが、逆に「若いひとに夢をもたせねばならない」などと、それは肯定的な意味にも使われている。これら二つの表現は、夢のもつ両面性をよく示していると思われる。

河合隼雄「ユング心理学入門」岩波現代文庫

三月某日晴れ
小さな箱の隅っこにひっそりといた見たこともない小動物を、うっかりしていて殺してしまった。その小さな動物はアリクイであり、ワラビーであり、カワウソであり、ギズモであった。優しい顔立ちの黒く光る瞳はいまや息も絶え絶えに白く濁り衰弱した体を覆う毛はばさばさと乾き、見ている私は死に直面しているケモノヘいたわりの言葉をかけることが出来ず、触れることも出来ず、いたたまれなくそっと閉じた箱のふたは白い和紙の貼られた正方形で、かろからと軽い音がした。夢判断的に言えば、見たこともない奇妙な小動物は抑圧された自分自身の心であり云々・・・。ということにやはりなるのであろうか。まあそれはそれとしてアルバイトからの帰り道、道の真ん中に杖をついたハットとネッカチーフが紳士的なおじいさんが夜空を見上げ動かない。そういえば今日は満月。とおじいさんと一緒に見上げれば月は全く逆の方向へ出ており、おじいさんの見上げる先にはただ電線だけが揺れているのでした。

ユング心理学入門―“心理療法”コレクション〈1〉 (岩波現代文庫)
河合 隼雄
岩波書店
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32号 アメリカの夜

ブルース・リーが武道家として示した態度は、「武道」への批判であった。リーは、自ら創出した「武道」である載挙道の理論化=体系化をもくろみ、それについての膨大な数におよぶメモやイラストを遺している。日本人の武道家である風間健という男が、リーの遺した載挙道に関するファイルを、一九八〇年に『魂の武器』という一冊の書物にまとめている。これは風間自身が一九七六年に編纂し出版した、『載挙への道』というおなじ資料をもとにして編まれた本にたいして、読者からあまりにも難解すぎるという意見が多くとどいたため、編みなおされて上梓されたものである。両書の内容にどれだけの異同があるのかは『載挙道への道』が手元にないためにわからない。わからないといえば、『の武器』の「まえがき」によると、フェルディナン・ド・ソシュールのように、リーは載挙道の全体像をまとめた著作をついに発表せぬまま他界しており、入手についての経緯がとくに記されているわけでもない風間の集めた資料が、はたして「源資料」とよべるみにかどうかわからない。というわけでここでいう『魂の武器』という武道書の著作とされているブルース・リーは、映画の中での彼のように虚構の存在である。虚構の存在だからいい加減なことをいってもよいだろうというのではない。虚構の存在なのだから、武道家ブルース・リーという幻の曖昧な輪郭を、具体的になぞってみたいのだ。

阿部和重「アメリカの夜」講談社文庫

二月某日晴れ
私はよく男子に殴られていた。と通勤途中、通学途中の小学生男子が小学生女子のおさげの髪をかるく引張り、もう、さいて〜い。といわれているのを眺めながらふと、思い出した。髪を引張ったりスカートをめくられたりといういわゆる気になる子にちょっかいというレベルではなく、かといっていじめという程陰惨なものでもなく廊下で目と目が合えば戦いが始まるといったものであった。もちろん相手も子どもとはいえどこを殴っていけないのかは本能で分かっているので顔は殴らない。肩とか背中とか、あまり痛くない場所である。私の武器はホーストばりにしなるキックだ。回し蹴りだって習得した。ヘッドロックをされれば「ギブギブ」とタップをしつつ不意をついてのグーパンだ。こうして休み時間のほとんどをストリートファイトに費やした私は女子の派閥争いというものにあまり関わることなくすくすくと成長したわけであるがそれにしても不思議だったのは男子に対する女子の対応であった。パンチをされれば泣くか先生にいいつけるかもういっしょうくちをきかないと怒ってパンチをした男子のランドセルの中身を全部ぶちまけシャープペンシルやノートを使い物にならないくらいぼろぼろにして挙句の果てには泣き出しまわりの女子にあやまりなよ〜と謝罪を要求させるという報復。戦えばいいのにと思っていた幼い頃の私に言ってあげたい。それは生まれ持っての女子としてのプライドなのだよ。と。いや、私もその小学生を見ていてたったいま気付いたわけですけどね。とりあえず、さいて〜いと練習しながらバイトへと向った。

アメリカの夜 (講談社文庫)
阿部 和重
講談社
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29号 センセイの鞄

遠いところで雷が鳴った。しばらくすると、光が雲間にまたたいた。いなびかりだろうか。数秒後にふたたび雷鳴がきこえる。
「ツキコさんが妙なことを言うから、妙な空になってしまいました」センセイは縁側から身をのりだしながら、つぶやいた。
妙なことじゃないもの。わたしは言い返した。センセイが苦笑する。
「これから、少し、荒れますね」雨戸を、センセイは大きな音をさせてたてた。滑りが悪い。戸も閉めた。いなびかりがさかんにまたたいている。雷鳴も、近づいてきた。
センセイ怖い。わたしは言って、センセイの側に寄った。
「怖くなんかありません。ただの放電現象です」寄ってきたわたしを避けるようにしながら、センセイは落ちつきはらって答えた。わたしはさらにセンセイににじり寄った。実際のところ、わたしは雷が苦手だったのだ。
センセイとどうにかなろうなんて考えてるんじゃありません、ただ、その、怖いだけです。わたしは歯をくいしばって言った。すでに雷はかなり激しくなっていた。ぴかりと光った、そのいっしゅん後に雷鳴がとどろく。雨も降りはじめた。雨戸に横なぐりの雨があたる音が大きい。

川上弘美「センセイの鞄」新潮文庫より

六月某日 雷雨
小さいころ、雷が何よりも怖ろしかった。雨が激しく降りだし空が光りだすと一目散に家中でいちばん暗くせまい場所に身をかくし、耳をふさぎ、目をつむり、雷が去るのをひたすらに念じた。その際、身に着けているものに金具がついていれば全て取り去った。例えばファスナーつきのワンピースなんてとんでもない!雷は金具に落ちるのだ。隠しても無駄だ、知っている。確かにそう聞いたのだ。だからその際はパンツ一枚で身をかくすことを余儀なくされた。また、雷が鳴り出しそうな激しい雨が降り始めると庭にそっと、アイスクリームを置いたりもした。空の怒りを鎮めるための生け贄である。だって落ちれば死ぬのだ。しかもそれは無差別に行われる。何と怖ろしいことだろう。わたしは、死ぬことが何よりも怖ろしかった。

いつごろからか、パンツ一枚で小さくなることもなくなり、生け贄を差し出すこともしなくなった。バイトからの帰り道、ゲリラ豪雨に襲われても悲鳴を上げることも服を脱ぎだすことも傘を投げ出すこともなくちゃんと家まで帰れることができる。遠くに稲妻が見えればきれいだなと見入ることだってある。

もう大人だから大丈夫そうつぶやきながらこの時期、雷雨の中を歩いている。

センセイの鞄 (文春文庫)
川上 弘美
文藝春秋
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27号 ノート(ある日のこと)

いつも一人の女の子のことを書こうと思っている。
いつも。たった一人の。ひとりぼっちの。一人の女の子の落ちかたというものを。
一人の女の子の落ちかた。
一人の女の子の駄目になりかた。
それは別のありかたとして全て同じ私たちの。
どこの街、どこの時間、誰だって。
近頃の落ちかた。
そういうものを。
落ちかたといったって色々ある。例えばジェット・コースターのようにまっさかさま、だとか、自転車で坂道を下るように、だとか。運動の種類がね。滑走系なのか旋回系なのか、とかね。飛行機のきりもみ飛行のような、とかね。
そうじゃない。
むしろ、羽毛が、鳥のうぶ毛のような羽毛が、ふわふわと漂うような上昇しているのか下降しているのか、一見するとよく分からないような落ちかたがいい。椿の花がぽとんと落ちるみたいなのや熟したぐみやマルメロがぽとんと落ちるみたいなのはいやなんだ。
  エレガントじゃないからね。

岡崎京子「ノート(ある日のこと)」 「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」平凡社より

五月某日 晴れ
階段から落ちたことがある。酒のせいではなく小学生のころ、登校途中のことである。二、三段の話しではない。二十段ほどの石段を上から下まできれいに落ちた。まさか一段目から足を踏み外すなんていったい誰が想像しただろう。いや、誰もしていない。足を滑らした瞬間、友人の驚いた顔が見えたかと思ったらもう転がっていた。五、六段のところまでは何とか止まろうと踏ん張ったが無理だったので下まで落ちれば止まるだろうと諦めた。走馬灯は浮かばなかった。おむすびころりんはちょっと浮かんだ。後は転がり終わったときに果たしてどんな顔をすればいいのだろうと考えていた。これだけ転がっておいてエヘヘ、と起き上がるのも奇妙な気がするし、かといって痛い、痛いとことさら騒ぎ立てるのも気が引ける(だってどこも痛くないのだ)。実際ランドセルのおかげか全くの無傷であったし。 はて、あの時私はいったいどんな顔をしたんだろう。

遠くでは雷が鳴っている。ひと雨きそうだなとぼんやり窓の外を眺めていたらふと思い出したむかしの話しである。

ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね
岡崎 京子
平凡社
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26号 春の掌編

春になったのにも気付かずに、座っていたら散ってしまった私であった。あなたはぼんやりなのだから、しっかりしなくてはなりません。とむかし母に言われた気がする。しかし、何しろ私はぼんやりなのでその記憶も曖昧ではらはらと散る薄桃色のむこうに広がる空間をただただ眺めているのであった。ぼやぼやと広がる空間のむこうにはいったい何があるのだろう。それは想像ができる範囲のものなのだろうか。巡っていけばわかる範囲のものなのだろうか。
「きみはいつでもかんがえすぎるんだ」
むかし誰かに言われた気がする。友人だったか、恋人だったか、それとも父親だったのだろうか。いつもいつもこう。記憶は混乱し錯乱し忘却の底で捏造されてそれでもやっぱりここにいるのでじきに萌える私なのです。

鷺塔あや「春の掌編」親潮文庫より

四月一日
いつの間にか春が来ている。

桜は咲き、菜の花はゆれ、酒はうまく、子羊は今日もどこかで産まれ、虫や芽や人がぞろりと出て来ては街が華やぐ季節である。こうなってくるとやはり自然と心は浮き立つ。きれいな色を身につけて愛されメイクだってやってみようじゃあないかという気になる。だって、だって女の子だもの。そうだこの機会にダイエットにも再再再々・・挑戦で毎日適度に運動をして旬のものを丁寧にゆっくりと食そう。あ、緑茶のみどりってきれい。うふふ。春風って優しいからきっと私の気持ちまで優しくしちゃうのね。ああ、世界ってこんなに美しい。ラヴ&ピース。

と、こうしてすっかり生まれ変わった気持ちになってありとあらゆる計画を立てる春が来ているのだった。(おおよそ四ヶ月ほど前にもすっかり生まれ変わった気になって目標を立てたことは忘れてしまおう)そういえば、新年の目標は「良い人になる」でしたっけね。

25号 美肌生活

一、コットンを水でぬらし、両手にはさんで軽く水けをきる。水道水でよい。
二、化粧水五百円玉大をコットン全体に含ませ、なじませる。
三、コットンを繊維に沿って縦に五枚に裂く。
四、コットンは縦方向にのびるので、幅を広げるように引っ張りながら貼る。
五、口と鼻の箇所に穴を開け、下まぶたの際からアゴまで覆う。シワがよらないようにコットンをピンと張ること。
六、下まぶたでコットンが重なるように。目の部分は、必要がなければ開けなくてもよい。
七、しっかりと伸ばしながら左右の頬に。目元でコットンが重なるように貼る。
八、首も顔の一部。年齢が出やすい部分でもあるので、欠かさずアゴから首まで貼る。
九、コットンが肌に密着するよう、上から手のひらで軽く押さえる。そしてこのまま三分間パック。
十、ラップで覆うと、自分の息と体温で自然のスチーム効果が得られ、さらに肌がうるおう。
十一、ラップは二枚使用。上半分と下半分の間は呼吸ができるように必ず開けること。
十二、ラップパックなら三分以上おいてよい。コットンをはがすときは上から下へ。

佐伯チズ「美肌生活」講談社より

二月某日 晴れ
例えばあなたは、食器用洗剤と防虫剤とコットンとラップを薬局で買って来なさいといわれた場合にそれらすべてを見事に買うことができる人であろうか?何も大げさな話ではない。分かっている

ふふん、と薬局へ入り、あら、お安い。あら、大特価。とポポイと商品をかごへと入れていき、何だか要らないものまで買っちゃったけどまぁいっかー。なんてレジで清算したら何とポイント十倍デー。あと少しで商品券もらえるじゃん、超ラッキー。ってこんな感じでしょ?何も大げさな話ではない。分かっている。

しかし私にはこれができない。なぜってそれはこういう具合になるからだ。ふふん、と薬局へ入るとまず照明の明るさと乱立する大特価の文字と呼び込みの声に判断力は四十パーセントまで低下し、かごにぶつかり子供につまずき商品をなぎ倒しながらやっとの思いで食器用洗剤の前に立つと今度は除菌効果やらオレンジの香りやら頑固な油汚れにやらってもう何が何だか。ええい、私に選択肢を与えてくれるな。という気分でふと横のラップ見るとこちらはどういうわけか一種類しか置いてなくってしかもあれね、聞いたことないメーカーですね。くるっとしないのね。いや、別にいいんだけれども。とりあえずラップと食器用洗剤を手にとりそうそう防虫剤。ええっ、大増量中って五十個使い切るのに何年かかるんすかってんでこちらは諦めコットン、コットン。あのぉ、もっと大判のものありませんか?ああ、売り切れですか。

レジに向うと押すな押すなの大賑わいのポイント十倍デー。皆さんかご一杯の荷物でこれっぽっち買うのも馬鹿らしくなって逃げ帰るというわけです。ええ、何も大げさな話ではないんですけどね。

美肌生活 -3日で変わる佐伯式 肌の愛し方 育て方 (講談社の実用BOOK)
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24号 婚礼、葬礼、その他

友美の側の参列者の女の人たちは、皆それぞれに見分けがつかないほど、きちんと着物を着て髪を上にあげていた。ヨシノは、彼女たちの存在を気にかけながら、めでたい席でそのことを分かち合ってもいいはずなのに、どうしてこんな気持ちになっているんだろうと不思議に思った。春子が隣で、え?お母さんもなんかぼーっとするんですかっ?と携帯に向かって大声で話しかけているのがきこえた。そういや自分のほうはどうだろう、とヨシノも携帯の電源を入れると、その瞬間に着信音が鳴り響いた。見覚えのある着信番号は、明け方と会場に到着する前にもかかってきた番号で、ヨシノはいいかげん腹が立って、なんの業者か確かめてやろうと通話ボタンを押した。耳にあてて聞こえてきたのは、機会の音声による出会いを促す声でも早く金を返せさもなくばという脅しでもなかった。
『明け方にも電話したんだけど、なんで電話取らないの?』
予想だにしなかった職場の常務の声が聞こえてきて、ヨシノは身を硬くした。
「あ、いえ、知らない番号のは取らないようにしてるんで」
つとめて、悪気のなさを装って、頓狂な声を出すと、大仰な溜め息が聞こえた。
『昨日の夜、マジマ部長のお父さんが亡くなってね。ものすごく寒かっただろ』
「はい」
確かに寒かった。パイル地の靴下を二枚重ねで履いても、つま先がかじかんでいた。それよりも問題だったのは鼻で、ヨシノは本気で来週末にでも鼻カバーを編もうと考えていた。

津村記久子「婚礼、祭礼、その他」文藝春秋より

一月某日 夜
電気ストーブの前に体育座りでひとり、本を読んでいる。静かな夜で、何の音もない部屋である。今まさに、否が応にもわたしの集中力は高まり、紙に印刷された一文字一文字を手に取り、嗅ぎ、味わい、思考し、ダンス。ラララダンス。さあ、もう何も恐れることはないさ!いざ、書物の世界へ!

こういう時、決まって私の鼻は冷える。皆さんのはどれくらい冷えるんでしょうか?私のはよく冷えます。そして皆さんはそういう時、どう対処していらっしゃるんでしょうか?これ、長年の疑問のひとつです。ちなみに私のは、部屋でひとり何かに集中しているときに人知れず冷えるようです。まあ、冷えるといたって霜焼けになるわけでもなし、もげるわけでもなし、放っておけばいいという話なんですが私の場合、ひとりで集中しているきっていうのが厄介なわけです。そういう時っていうのは大概本を読んでいるわけで、無音で体育座りなわけです。それが私の読書スタイルです。そして冷えた場合はそっと左手を鼻に添えます。

これ、何だかしゅん、とします。しゅん、とする夜なのです。あ、年が明けたら後厄でした。今年もよろしくお願い致します。

婚礼、葬礼、その他
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津村 記久子
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22号 昨日

もちろん、私は死んでいない。散歩していた男が、森の奥で、私が泥の中に寝ているのを見つけたのだ。彼は救急車を呼んだ。人びとが私を病院へ運び込んだ。私は凍えてさえいず、ただずぶ濡れになっていただけだった。私は森の中で一晩眠ったのだが、それだけのことだった。
そう、私は死んではいなかった。私はせいぜい、致命傷になりかねない気管支肺炎に罹っていただけだ。六週間、病院に入院していなければならなかった。肺病が癒えると、私は精神科の病棟へ移された。その前に、自殺しようとしたからだった。
私は病院にとどまっていられるのがうれしかった。工場へ戻りたくなかったからだ。病院では気分がよかった。世話をしてもらえるし、眠ることもできる。食事にしても、いくつもの定食のうちから好きなものを選ぶことができる。小さな応接までタバコを吸うこともできた。医者と話をするときにも、私は喫煙を許された。
「自分の死を書くことはできないよ」
こう私に言ったのは精神科医だ。この点、私にも異論はない。なにしろ、死んでしまったら、書くことができないのだから。けれども、内心では私は、自分は何でも書くことができる、たとえ書きえないはずのことでも、たとえ真実でないことでも―と思っている。
ふつう、私は自分の頭の中に書くことで満足している。そのほうが紙に書くより易しい。頭の中では、すべてが易々と展開する。しかし書き始めるやいなや、考えは変化し、変形し、そしてすべてが嘘になる。言葉のせいだ。

アゴタ・クリストフ「昨日」早川エピ文庫より

九月某日 秋晴れ
死んだふりをしている。

休日の午前中。掃除もした、洗濯もした、布団も干したしごみも出した。爽やかに心地よい風には秋の匂いがまじり始め、太陽の日差しはどこまでも優しくあたたかい。何と完璧な休日。しかし、しかしである。出かける気分ではなく、本を読むことに飽き、映画を観るには面倒で、人と会うのは嫌だが一人でいるのはもっと嫌。あ、私どうしたら良いのだろう。どうしたら良いのですか?というわけで死んだふりをしているのである。部屋の中央に横たわると開けた窓からはもちろん雲ひとつない抜けるような青空が見え、その青を青と認識しなくなるふりをするのだからこれが割と大変なのだ。もし私が設楽りさ子だったらきっと今頃近所の公園でジョギングをしているんだろうなあと思ったり思わなかったりしながら一時間もたつとやはりそろそろ飽きてくるので今度は右に左に転がってみることにする。右に転がるとばかばかしくて左に転がると愉快である。これには十分ほどで飽きる。何もないのである。何もないので私は、死んだふりをしている。

昨日 (ハヤカワepi文庫)
アゴタ クリストフ
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号 ニャンコのデュエット

昨日も一昨日もその前も、男はここでこうやって飲み続けた。そんなに酒が好きなわけではなかった。飲みたい理由があるわけでもなかった。…今夜こそ、…今夜こそ、と、男は毎晩誓うのだ。
そのために煙草も止めたし、手品も覚えた。爪も研いだし、ヒゲも揃えた。ジョークだって三つ用意したし、鈴だって用意した。いざというときのための羽も準備したし、財布の中にはアレも備えてある。
いつだってめくるめく代数幾何は私の心の中にあった。秘められた夜のベクトル論は、今夜も花開くときを待っている。
…だから今夜こそ、この娘に、…ニャ、…ニャンコを申し込むのだ。男は昨晩誓ったことを、今宵も誓い直すのだった。
ニャンコ…。
この人はここから長いのよねえ。女はもう諦めていた。その客は何かの『理由』を抱えているように見えた。
だけどまあ私には関係ないし、女は深く考えなかった。その客は決してこちらと目を合わせず、一晩に何度もため息をつく。帰り際、支払いのときにだけ、じっとり女の顔を見るのだった。
無害ではあったが、何かを思い詰めた感じの男。だけどその男のことも、今夜はどうでもよかった。
今夜は…、今夜の私は…。笑い顔にならないよう注意しながら女は皿を磨いた。仕事が終わったら盛大にニャンコしようって、六日前から決めてあったのだ。
ニャンコ! 大好きなアレも用意したし、得意なソレも練習した。ニャンコ! ―ニャンコ! 

中村航 フジモトマサル「終わりは始まり」集英社より

八月某日 にわか雨
同郷の友人と久しぶりに会った。お盆の時期に帰郷していたらしく見せてもらった写真には精霊流しが写っていた。ご存知ですか?精霊流し。ええ、さだまさしが歌ってましたね。去年のあなたの思い出が、と。ではご存知ですか?精霊流しが騒がしいということを。ええ、ええ、それはもう去年のあなたの思い出がテープレコーダーからこぼれていても聞こえない程に。

この一ヶ月、特別変ったこともなかったので今回は地方ネタでもよろしいでしょうか。ああ、そういえば先日見知らぬ男性にキミはニャンコちゃんだね。と確認されたことが変ったことといえば変ったことなのですがまあ、それはさておき精霊流しです。

八月十五日、故郷は爆竹の音に包まれます。初盆を迎えた家族が花と提灯と遺影で飾られた精霊舟(祭りの山車の様なもの)を担ぎ鐘や太鼓や爆竹を鳴らしながら港へと向うのです。何しろこの爆竹というのが生半可な量ではありません。中には箱のまま火をつけるという暴挙にでる者もおりまして、もはやそれは爆弾…。煌めく閃光、響き渡る爆発音、そして怯える猫。かなり怯えます、猫。また、見物人からの掛け声にあわせて舟をぐるぐると回転させるお調子者もおります。警察に止められます。舟の上で遺影は揺れます。夏祭りではありません。夏祭りかと思ってました。

そしてこの模様は何故か深夜、年配の男性の解説付きで放送され最後に彼はこう締めくくります。「来年は私の舟が出とるかもしれませんね」年齢が年齢なだけに洒落にならないこの台詞とアナウンサーの女性の苦笑いで故郷の夏は終わっていくのでした。

終わりは始まり
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20号 ジャージの二人

父は答えずに箱の中のジャージをどんどんめくっていく。がさがさいう音が大きい。中はすべてジャージだった。左胸のところに白いワッペンみたいなものが縫い付けてある。
「何小学校のにする?」難しい顔で尋ねられる。
「なんでもいいよ」父は袋から取り出した紺色のジャージを広げてみせた。
そして、そのまま着てしまった。父は写真家だが、被写体ではない、つまり自分の格好にはまるで無頓着だ。父の選んだジャージはサイズもぴったりで、似合ってはいる。僕も、手渡された小豆色のを出して来てみた。
「ぴったりだ」腕のところに白い二本のラインが入っている。
「ドリフのコントみたいだ」父が僕を見ていった。
「本当だ」
「君は桶谷の生徒か」
自分の胸元をみた。「桶谷小学校」とある。校章のようなものも刺繍されている。学年と組と名前を書く欄も。父の胸元には「和小学校」とある。

長嶋有「ジャージの二人」集英社文庫より

七月某日 夜
午後十一時の公園でバドミントンをしている人がいた。二十歳前後の小柄な女性二人組みはそれぞれにジャージを着ており、遊んでいるというには真剣に、真剣にというには遊んでいる様子で羽をたたいている。二人は無言で穏やかなラリーを続けているので誰もいない小さな公園には規則正しく白い羽根がふわりふわりと浮かび上がる。無声映画のような奇妙に面白い光景だがじっくりと眺めている場合ではない。私は十一時に閉まるスーパーマーケットへと急いでいるのだ。

なぜならトイレットペーパーがきれたからです。夜にトイレットペーパーのきれる悲しさよ。買わなきゃ買わなきゃと思いつつ買い忘れる最たるものが私の場合トイレットペーパーなのですがみなさんはいかかでしょう。しかもなきゃ困るでしょ?夏場は水分たくさん摂るでしょ?コンビニエンスストアよりスーパーマーケットの方がお徳でしょ?というわけでせくせくとスーパーマーケットへ向っている。そういえばむかし、トイレットペーパーみたいにかさばるものは男が買うべきだと断言し彼氏に買いに行かせていたあの子はこの間結婚したなと思いつつ、トイレットペーパーかいにいくのさぁひとりでぇ。と歌ってみる。ちょっと悲しい。でも無事トイレットペーパーをゲットした帰り道に、ビールだってかうさぁ、ひとりでぇと歌ってみたらこれはちょっと楽しかった。

ああ、ジャージの二人組みは帰りには三人になっており、円陣を組んでいました。無言で。

ジャージの二人 (集英社文庫)
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集英社
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19号 泣かない女はいない

睦美はほとんど泣いた記憶がない。自分が泣かないということに自覚的になったのは最近だ。パン屋の厨房で働いていたとき、長野五輪のスキージャンプの中継をみて泣かなかったのは一人だけだった。
「私、泣いたことないんだ」マグカップのお茶を持ってきてくれた四郎にいきなりいってみると、すごいなと返される。
「すごいかな」そのことと、帰宅するなりCDを聴いていることとの関連が四郎には分からないはずだが、特に追求もしてこない。もうパソコンの画面に向っている。睦美はふうふうさまして、お茶に口をつける。
泣いたことがないからといって「泣かない女はいない」というアフォリズムのような言い切りに不快感を覚えたわけではない。逆に、今かかっている歌の「女 泣くな」という真っすぐすぎるなぐさめの言葉に感動しないわけでもない。
樋川さんの口からそれが出たときになぜかどきりとしたというだけのことだ。間違えているにしても、わざとにしても、樋川さんは字義通り泣かない女はいないと思っている、だからそう口にしたのではないか。泣かない女はいないということは、樋川さんにとってうっとうしいことだろうか。寂しいことだろうか。

長嶋有「泣かない女はいない」河出文庫より

六月某日 夜
洗濯をするかどうかで悩んでいる。いや、まあそんなものは勝手にすればいいのだが家の洗濯機はベランダに配されており先ほど洗濯をしようとベランダに出たところ女のすすり泣く声が聞こえたのである。

何事かと思えばなんてことはない(ってことはないが)隣人の女性が泣いているのであった。窓を開けているのかベランダで話しているのか大きな声ではないが切々と話す女性の声が割とはっきりと聞こえる。相手の声が聞こえないということは電話で話しているのか部屋の奥に相手がいるのか、どちらにしても涙ながらに何事かを切々と訴えている隣で無粋にもぐぉんぐぉんと大きな音で洗濯機を回すのも憚かれて静かに部屋へ戻ったというわけだ。

彼女の部屋からはバラエティ番組の音が聞こえた。きっと静かな部屋ではやりきれないのであろう。分かる、分かるよぉその気持ち。と私は勝手に彼女の身になっている。

考えてみればいずれ、というかかつて、というかそれは私の身にも起こる場面だ。きっと。だからいま悲しむのはよそう、と特に悲しむ予定もないのだが恋愛小説の主人公のようなことを考えぐぉんぐぉんと大きな音で洗濯機を回した。だって明日は梅雨の中休みなのです。

泣かない女はいない (河出文庫)
長嶋 有
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18号 つぐみ

それでも時おり、眠れないほど海が恋しい。どうしようもない。
よく行く銀座の街では、風向きによってふいに潮の香りがすることがある。うそではなく、大げさに言っているわけでもなくて、その瞬間、私は叫び出しそうになる。全身がその香りに急に吸い込まれて身動きがとれないほど切なくなる。泣きたくなってしまう。たいていそんな時は天気が良く、はるかに澄んだ空が続き、私は手に抱えた山野楽器やプランタンの袋をかなぐり捨てて走っていき、潮のこびりついたあの汚い堤防に立って心ゆくまで海の匂いをかぎたくなる。こんなに強い衝動もいつかはうすれてゆくにちがいないことのつらさ、これが郷愁というものなのだろうか。
先日、母と歩いていた時もそうだった。平日の昼間、人も少ない大通りで、デパートから出たとたんに強い風にさらされ、塩のにおいがした。2人ともすぐにわかった。
「あら、海の匂い」
母が言った。
「ほら、あっちのほうにあれがあるからよ、あの、晴海埠頭」
私が指さして言った。風向きを調べる人のような感じだった。
「そうね」と母が微笑んだ。

吉本ばなな「つぐみ」中公文庫より

五月某日 晴れ

庭先にビニールプールを出して遊んでいる子どもがいた。暑い日だけど早くないかい?夏を先取りしすぎじゃないかい?と横目で見ながらパン屋へ向う。サンドイッチを食べたいのだ。そういえばかつてそうさ、キミとボクに夏が来るさ夏はビーチでゴーゴーなのさ照り付けてる太陽もほら、ばっちりさと歌ったきゃわゆい男子二人組みがいましたが夏はやっぱり水辺なのですね。動物園の動物しかり、近所の子どもしかり、血沸き肉踊る若者しかり、生きとし生けるもの夏は水辺。のはずなのですが、行ってないな水辺。とぼんやり思いながらパン屋へ向う。ツナサンドが食べたいのだ。

そもそも、海での遊び方というのが分からない。「そんなもんは流れに身を任せてぼんやりしてればよろしい。考えるな、感じろ」という方もいらっしゃいますでしょうが流れに身を任せてぼんやりっつったってホントにぼんやりしていて取り返しのつかないところまで流されてしまってはいけないわけで、「そんなところまで流されるこたぁない」という方ももちろんいらっしゃいますでしょうがわたしのぼんやりはそんじょそこらのぼんやりとはわけが違うぜ。と幼い頃に海でひとりだけはしゃげずに途方に暮れた苦い記憶を思い出しつつパン屋へ向う。卵サンドだって食べたいのだ。わたしは。

あ、こうやってぐりぐり考えているからビーチでゴーゴーな夏が来なかったのか?だから、キミとボクに夏は来なかったのか?とまたぐりぐり考えながらパン屋へ向った。

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17号 イッツ・オンリー・トーク

直感で蒲田に住むことにした。
ある日、いい加減冬に飽きた頃、山手線に乗って路線図を見ていると「蒲田」という文字が頭のなかに飛び込んできた、それで品川まで行って京浜東北に乗り換えた。ホームに降りると発車ベルの代わりに蒲田行進曲のオルゴールが鳴っていた。
ずっと東京に住んでいながら蒲田に来るのは二度目だった。小さいころに夏物のスカートの生地を買いに来たっきりだ。けれども街はどこか懐かしく、夢で歩いたことがあるかのようにしっくりきた。不動産屋を歩いてまわって、無職でも住める部屋を探した。西蒲田に二間ある古いアパートがみつかって、そこは日当たりが悪くて風通しがいいので絵を描くのにむいていると思った。
なけなしの貯金をくずして契約書に判を押した。

糸山秋子「イッツ・オンリー・トーク」より

四月某日 晴れ

近所の公園に面したアパートから若い女性とおそらく不動産屋さんであろう男性が「ほら、隣に公園ありますからね。気分転換には最適ですよ」「そうですね」などと会話をしながら出てきた。

私がひとつ前に住んでいたアパートの向かいには銭湯があった。隣には小さな焼き鳥屋があり、部屋を決めるときに休みの日には夕方早い時間から銭湯へ行って隣の焼き鳥屋で一杯やろうと考えていた。結局三年ほど住んだそこで銭湯へ行ったのは五、六回。焼き鳥屋へは行かずじまいだった。その前に住んでいたアパートには屋上があった。割と見晴らしがよく、休みの日にはレジャーシートを敷いて日向ぼっこをしたり、夏には友達を呼んで屋上でビアガーデンをやろうと決心していた。日向ぼっこをしたのは引越しをした翌日だけでビアガーデンに関しては一度も開催されなかった。その前に住んでいたアパートのベランダは広かった。植物でも育ててみようかしらと思っていた。ええ、育てることはありませんでした。 単に私がずぼらなだけなのか、はたまたいつでもできると思うとなかなかやらないという人間の性なのか・・・。

じゃあ何をしていたのかというと、図書館へ行って本を借りて帰りにビールを購入し部屋へ戻って読んで、飲んでいたわけですね。思い返してみれば幼い頃の私の楽しみは、本屋へ行って本を買って帰りにお菓子を購入し家へ戻って読んで、食べることでした。

三つ子の魂ってほんとうに百まであるんだなあと、普段は通り過ぎるだけのその近所の公園で気分転換をして帰った。

イッツ・オンリー・トーク (文春文庫)
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16号 風博士

諸君は、東京市某町某番地なる風博士の邸宅をご存知であろう乎?御存じない。それは大変残念である。そして諸君は偉大なる風博士をご存知であろう乎?ない。嗚呼。では諸君は遺書だけが発見されて、偉大なる風博士自体は杳として紛失したことも御存知ないであろうか!ない。嗚呼。では諸君は僕がその筋の嫌疑のために並々ならぬ困難を感じていることも御存じあるまい。しかし警察は知っていたのである。そしてその筋の計算に因れば、偉大なる風博士は僕と共謀のうえ遺書を捏造して自殺を装い、かくてかの憎むべき蛸博士の名誉毀損をたくらんだに相違あるまいと睨んだのである。諸君、これは明らかに誤解である。何となれば偉大なる風博士は自殺したからである。果たして自殺した乎?しかり、偉大なる風博士は紛失したのである。諸君は軽率に真理を疑っていいのであろうか?なぜならば、それは諸君の生涯に様々な不運を齎らすに相違ないからである。真理は信ぜらるべき性質のものであるから、諸君は偉大なる風博士の死を信じなければならない。そして諸君は、かの憎むべき蛸博士の―あ、諸君はかの憎むべき蛸博士を御存知であろうか?御存じない。嗚呼、それは大変残念である。では諸君は、まず悲痛なる風博士の遺書を一読しなければなるまい。

坂口安吾「風博士」より

三月某日 晴れ
夜、洗濯物を干そうとベランダへ出たらその隅に紙飛行機が落ちていた。どこからか風に吹かれてきたのであろう。黄緑色の紙で折られたものである。所有者を失った物体はたとえ元は正方形の紙切れだったとしてもどこか物悲しい。夜だし春だしやけに感傷的な私である。

そうなのだ、春は何だか感傷的な季節なのだ。ほら、この時期っていろんなものが飛んでるでしょう。黄砂だったり、花粉だったり、花びらだったり、ビニールだったり、匂いだったり、そういう目に見えるんだか見えないんだかよく分からないものがふわふわと空気中に漂っているというこの不安定さがどうもいけない。あと、あれね。一斉に虫とか植物とか人が蠢きだすそわそわする感じとか、何かが始まる気がする期待感と同時に感じる何かが始まってしまうことへの寂しさとか、そういうやつ。そういうやつらがどうも私を感傷へと駆り立てるんだな。

だからやはりみんな今夜も酒を飲むんでしょう。春ですから。そう考えると花見とかこつけて大騒ぎしながら酒を飲んでいる集団がたくさんいるという光景は可愛く見えないこともない。何しろ春ですから。しかし桜が散るのは一瞬ですから酔っているとはいえよく見ておいた方がいいでしょう。いつでも答えは風に吹かれています。ああ、それはそうと、私は桜を見ながら日本酒が飲みたいと思うのです。すぐに記憶なくなりますが。

ベランダの紙飛行機は飛ばし方が悪かったのか、階下の庭へ真っ逆さまに落ちていった。

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15号 りんごへの固執

紅いということはできない、色ではなくりんごなのだ。丸いということはできない、形ではなくりんごなのだ。酸っぱいということはできない、味ではなくりんごなのだ。高いということはできない、値段ではないりんごなのだ。きれいということはできない、美ではないりんごだ。分類することはできない、植物ではなく、りんごなのだから。花咲くりんごだ。実るりんご、枝で風に揺れるりんごだ。雨に打たれるりんご、ついばまれるりんご、もぎとられるりんごだ。地に落ちるりんごだ。腐るりんごだ。種子のりんご、芽を吹くりんご。りんごと呼ぶ必要もないりんごだ。りんごでなくてもいいりんご、りんごであってもいいりんご、りんごであろうがなかろうが、ただひとつのりんごはすべてのりんご。
紅玉だ、国光だ、王鈴だ、祝だ、きさきがけだ、べにさきがけだ、一個のりんごだ、三個の五個の一ダースの、七キロのりんご、十二トンのりんご二百万トンのりんごなのだ。生産されるりんご、運搬されるりんごだ。計量され梱包され取引されるりんご。消毒されるりんごだ、消化されるりんごだ、消費されるりんごである、消されるりんごです。りんごだあ! りんごか?

谷川俊太郎「りんごへの固執」より

一月一日 晴れのち曇り
みかんの実がぽたんと落ちた。家の近所の公園での話である。ひとつ落ちたかと思ったら続けてふたつぽたぽたとまた落ちて、落ちたみかんは芝生の上で小さく跳ねた。みかんってこんな風に落ちるんだっけ?とぼんやりとしていると、欲しかったら持ってきな。と木の上から声がした。ぎょっとして見上げるとおじさんがこちらも見ずにどんどん実を落としている。食べごろだよ。と豪快におじさんは言う。降るように落ちるみかんを不思議気持ちで眺めていると、どこからともなく子どもやおばさんがわらわらと集まってきた。かれらはそれを落ちたそばから拾っていく。何となく私も拾わなくちゃいけない気がして足元に落ちたみかんをひとつ拾った。そうして手に入れたみかんをひとつ手に持って家への道を歩いていたら、今度は後ろから声がした。

りんごはすき?振り向くと老婆がにこにこと立っている。見知らぬ老婆であったので、わたしですか?と聞き返すと老婆はにこにこと頷いた。ええ、すきです。と答えると老婆は手に提げている袋をごそごそと探り、たくさんあるのよ。とりんごをひとつ手渡してきた。思わず受け取るとにこにこ老婆は満足気にうん、うんと頷いた。そしてふと私が持っていたみかんに目を留めると、いいみかんね。とやはりにこにこと言うのでみかんは老婆にあげた。にこにこ老婆は今まで以上ににこにことしていってしまった。

そうしてみかんはりんごになった。立ち寄ろうと思っていた図書館へは寄らず、家へと帰った。りんごはすっぱくおいしかった。

これが私の優しさです―谷川俊太郎詩集 (集英社文庫)
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14号 おめでとう

西暦三千年一月一日のわたしたちへ
少し寒いです。今日は新しい年なんだとあなたが言いました。新しい年は、ときどきくる。寒くなると、くる。
おめでとう、とあなたは言いました。おめでとう。まねして言いました。それからまた少しぎゅっとしました。
忘れないでいよう、とあなたが言いました。何を、と聞きました。今のことを。今までのことを。これからのことを。あなたは言いました。忘れないのはむずかしいけれど、忘れないようにしようとわたしも思いました。
さよなら。あなたが言ってしまったので、暗くなる前に畑を少し耕しました。入日が赤いです。火をおこします。飯を薄く炊いて、かめの水を飲みました。この島にはもっとたくさんの誰かがいたんだと、あなたのおとうさんは教えてくれました。もっとたくさんの誰かは、どんな人たちだったんだろう。その人たちのことを忘れずに今もおぼえている人は、いるんだろうか。どこか遠くに、いるんだろうか。
寒いです。おめでとう。あなたがすきです。つぎに会えるのは、いつでしょうか。

川上弘美「おめでとう」より

一月一日 晴れのち曇り
年が明けたら厄年でした。こわい。

やっぱりあれですか?病気とか怪我とか不幸とか、言い知れない寂しさとか取り返しのつかない悲しみとか将来への不安とか、そういったものがどばどばっと押し寄せてくるんでしょうか?厄年。

思い返してみれば、初めて酒で記憶をなくし財布もなくし店のトイレのドアを壊し友人だけでは部屋に運べずタクシーの運転手さんに手伝ってもらい部屋に運ばれ翌朝ひどい頭痛と共に目が覚めると後頭部に見事なたんこぶ一つと両足に擦り傷二つと青あざが四つ出来ていてその日はそりゃあもうバイカル湖より深く反省し二度と酒は飲むまいと誓ったのが二十四歳の時。前日に溶け始めた雪を横目にふふんと気持ちよく自転車で走っていたら滑って転んで塀にぶつかり今までに見たことのない出血に気を失いつつも通りすがりの見知らぬ人に近くの病院まで手を引いて行ってもらい順番待ちの患者さんたちがざわめく中先に診察したらすぐに縫うしかないねとちょこちょこっと鼻を縫われ試合に負けた格闘家ばりに顔がはれたのが二十九歳の時。(二十四のときに禁酒したはずなんですがね)泥酔して部屋に着きバッグを探ると鍵ではなく何故か履いていた靴が入っていたものの困惑するほどの常識ももはや持ち合わせておらず部屋の前で眠ったのが三十歳の時。えーと、それから、それから……。数え上げるときりがありませんが、こういったことよりも大変なことが起こるんですかね、厄年……酒をやめれば半分は厄が減りますね。きっと。

まあそんなこんなでみなさんもどうぞお体にはお気をつけ下さいませ。遅ればせながら、今年もよろしくお願いいたします。

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13号 道

この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ。いけばわかるさ。

十二月某日 晴れ
夜の歩道で男女がけんかをしていた。新年に向けての大掃除で本を古本屋へ売りに行った帰り道でのことである。売った本は締めて四千八百円。斜向かいのコンビニエンスストアでビールを一本購入し、道の途中で出会った猫と遊んでいた時のことだった。

「だって、向こうとは別れてくれるっていったじゃない」と涙ながらの女性の声。「もう少し待ってくれよ」と、これは弱りきった男性の声。猫はオレンジ色の虎島模様で咽喉をごろごろと鳴らしている。二人は「嫌よ」「待てよ」と通り過ぎていった。この道の先にはもう一組くらいけんかしている男女がいるかもしれない。仲良く歩いている男女は三組くらい。これから始まりそうなのが二組。ビール片手に猫と遊ぶ妙齢の女性はもう一人くらいいてほしいな。と考えていたら咽喉を鳴らしすぎて興奮した猫に手を噛まれた。ビール片手に猫と遊んでいて手を噛まれた妙齢の女性は一人だ。きっと。

少し落ち込んだので、迷わず行けよ。いけばわかるさ。と自分を励ましながら帰った。

12号 ペンギン村に陽は落ちて

「ロボットなのにベッドの上で目を覚ますんですか」それはそれがしゃべった最初の言葉だった。「じつに奇妙だ。生まれたとたんにそんなことを言うとはな。わたしはわたしのロボットが最初に何をしゃべるのか非常に興味を持っていたのだが、いやはや」と博士は言った。それは黙って、自分の回りにあるものを見た。それはそれがこの世界で見た最初のものだった。
「お前は、いま『見る』ということをしている。それがどういう感じなのか、少し説明してくれんか」博士は言った。
「多くのものには形があります。まっすぐの線はあまりなく、あってもすぐ横に折れ曲がって、ずいぶん後になってもとのところへもどってきます。ある形は気持ちがいいし、別のは気持ちが悪い」 「お前の真ん前のそれは?」
「あらゆる形の中で最悪です。ぼく、死にたい」
「それはわたしだ!
生みの親に向ってそんなことを言うもんじゃないぞ。まあ、いい。最初からむずかしいことを要求するわけにはいかんからな。どれ、ちょっと立ってみんかね」

高橋源一郎「ペンギン村に陽は落ちて」より

九月某日 曇り
高橋くんのお母さんですか?通勤途中の道で、まだ新しい黄色の帽子の感じだとおそらく小学校一年生であろうと思われる男の子にそう尋ねられた。無論、私は高橋でもなければお母さんでもないのできっぱりと「違います」と答えた。するとその子は私の手をぎゅっと掴み、なおも「高橋くんのお母さんですよね?」と念を押してくる。子どもの力は案外つよい。人目もあるので無理に振りほどくわけにもいかず、時間もないので仕方なく「うです」と答えた。「高橋と仲良くしてやってね」続けてそう言うと、何故かその子は自分で尋ねてきたくせに私の返答に怯んだのだった。その隙に私は駅への道を急いだ。

九月某日 晴れ
高橋くんのお姉さんですか?通勤途中の道で、黄色い帽子のその子に女子高生がつかまっていた。女子高生はにこやかに「ううん、違うよ」と答えている。どうやら彼にとって「高橋」というキーワードは「あれ、キミ前にどっかで会ったことあるよね」ということらしい。野郎、使い分けやがった。素直さゆえに残酷な子どもの仕打ちに悲しくなった秋晴れの朝であった。

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11号 肝、焼ける

わたしは天井を仰いだ。吹き抜けの白い天井は案外、高い。
真意をはかりつづけた日々だった。険悪な雰囲気を持ち直すたびに、御堂くんは「待て」をいった。ジェスチャーに例えたら「おいといて」に近いニュアンスを感じる。
遠方への転勤をしおに、自然消滅を狙っているのではないだろうか。それとも、こちらはこちらで繋いでおいて、現地の女とうまいことやろうという魂胆なのか。いやいや、御堂くんはそんなひとではないはずだ。かれのいう通り、新天地での仕事が忙しく、一段落するのを「待って」ほしい、と、それだけの意味ではないか。それなら、わたしはかげながらかれを応援しよう。仕事に夢中な時期はあるものだ。しかし「待て」というからはもっと深い意味があってもおかしくないのではないか。例えば、ふたりの将来を視野に入れての発言とも受け取れなくはない。「しゃらくせえや」
死んだ祖父なら、こう切って捨てるだろう。
「そんなに掘りさげて、お前、アルゼンチンでもいくつもりか」

朝倉かすみ「肝、焼ける」より

八月某日 晴れ
泥棒になったときのための練習なんだよ。 という声で眼が覚めた。時計を見ると午後の二時だ。よく眠った休日だ。一日がつぶれたな。とベッドの上でごろごろと伸びをしながらその勢いで届いたカーテンの端を少し引っ張る。いやいやわずかなカーテンの隙間から容赦ないね。夏の日差し、とか蝉の声、とか近所で遊ぶ子どもたち、とか。あまりの容赦なしにエアコンのリモコンをさがす気力も失せて腕はだらりと頭の上へ伸ばし、しばし隙間からのぞく青空に見入る。暑い。

どろぼうになったらアルゼンチンにいってゼリーを死ぬほどたべるんだぜ。と近所の子どもの声。いいなぁ。とか、やめなよ、あぶないよ。とか、これまた別の近所の子どもの声。

そっかぁ、アルゼンチンはゼリーの産地かぁ。おねぇさんは水色のゼリーが食べたいねぇ。何味だかわかんないけど今食べるならぜったいに水色だね。と青空を眺めながら勝手にひとりごちる。暑い。伸ばした腕に触れたエアコンのリモコンのスイッチを入れ、安心した私は再び眠りに落ちた。

眼が覚めたのは午後五時だった。蝉の声はあれど子どもたちの声はもはやなく、一日を無駄にしたという罪悪感を抱えつつ財布を片手にふらふらとゼリーを買いに走った。夏だからね、こんな自堕落な日もあるのです。

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10号 酒宴

本当を言うと、酒飲みというのはいつまでも酒が飲んでいたいものなので、終電の時間だから止めるとか、原稿を書かなければならないから止めるなどというのは決して本心ではない。理想は、朝から飲み始めて翌朝まで飲み続けることなのだ、というのが常識で、自分の生活の営みを含めた世界の動きはその間どうなるかと心配するものがあるならば、世界の動きだの生活の営みはその間止まっていればいいのである。庭の石が朝日を浴びているのを眺めて飲み、それが真昼の太陽に変って少し縁側から中に入って暑さを避け、やがて日がかげって庭が夕方の色の中に沈み、月が出て、再び縁側に戻って月に照らされた庭に向って飲み、そうこうしているうちに、盃を上げた拍子に空が白み掛っているのに気付き、又庭の石が朝日を浴びる時が来て、「夜になったり、朝になったり、忙しいもんだね、」と相手に言うのが、酒を飲むということであるのを酒飲みは皆忘れ兼ねている。

吉田健一「酒宴」より

七月某日 晴れ

全ては酒と妄想、もしくは思いつきで始まったのであった。おおよそ一年前の酒の席で話は詰められた。熱い議論、幾多の妄想、飲み干した杯と失くした記憶は数知れず。そういうものからうまれた「ルーエの伝言」もはやいもので十回を数えることとなりました。初めてこの冊子を手にしているという方、何度か読んだことがあるという方、一回目から欠かさず手にしているという方、全ての方にお礼をいいたい。どうもありがとうございます。

さて、そういうわけで話は酒である。何といっても夏は酒なのである。まず、店に入る頃にまだ外が明るいというのがいい。「夜はまだまだこれからだぜい」という気になる。ビール片手にどこまででも歩けるような気がするし、すぐに蒸発しちゃうから底なしに飲めちゃうのよね。とか思ってしまう。このうきうきして終わりが来るのが寂しくてどうしようもない感じは夏休みの始まりに似ている。切なくさせるぜ、夏の酒。

もちろん、春は「桜を見ながら飲むのがいい」のであり、秋は「涼しい風を感じながら飲むのが気持ち良く」って、冬は「熱燗が冷えた体に沁みる」わけだ。しかし今は夏なので大いに夏の酒を楽しむことにする。ちなみに、蒸発するから底なしに飲めるというのが大いなる勘違いであることには翌朝気付くのだ。毎回、毎回。

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9号 夢十夜

こんな夢を見た。
腕枕をして枕元に坐っていると、仰向に寝た女が、静かな声でもう死にますという。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔らかな瓜実顔をその中に横たえている。真っ白の頬の底に温かい血の色が程よく差して、唇の色は無論赤い。到底死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然いった。自分も確かにこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上から覗き込むようにして聞いてみた。死にますとも、といいながら、女はぱっちりと眼を開けた。大きな潤いのある眼で、長い睫に包まれた中は、ただ一面に真黒であった。その真黒な眸の奥に、自分の姿が鮮やかに浮かんでいる。
自分は透き徹るほど深く見えるこの黒眼の色沢を眺めて、これでも死ぬのかと思った。それで、ねんごろに枕の傍へ口を付けて、死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね、とまた聞き返した。すると女は黒い眼を眠そうに瞠ったまま、やっぱり静かな声で、でも、死ぬんですもの、仕方がないわといった。

夏目漱石『夢十夜 第一夜』より

六月某日 曇り

こんな夢を見た。

夜の路地裏で女が男に襲われかけていた。助けてえと声を上げようとしたが男に口をふさがれた。その瞬間、ふさいだ手の隙間から「たすけてえ」という言葉は塊となって零れ落ちた。積み木の様な塊であった。すると、どこからともなく現れた三人の赤い三角帽をかぶった小人がそれらをつかみ、くるり、ひらり、と踊りながら傍を通りかかった別の女の口へと投げた。別の女は途端に襲われている女に気づき、「たすけてえ」と叫んだのだった。それで襲われていた女は難を逃れた。

この地球上には決められた数の言葉しか存在しません。気づくと、小人たちは私の足の周りで踊っていた。言葉は決して無秩序に発せられているのではないのです。小人の顔はどれも艶々として皺ひとつないくせにやけに年老いた顔をしていた。私たちは言葉を運びます。地球上の全ての言葉をです。あなたがいつか言えなかった言葉は既に誰かにどこかで発せられました。もはや、手遅れですよ。眼を覚ますとまだ外が暗かったのでもう一度眠った。

夢十夜 他二篇 (岩波文庫)
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8号 砂の女

失踪に関する届出の催告
不在者 仁木順平
生年月日 昭和二年三月七日

右の不在者に対し 仁木しの
から失踪宣告の申立があってから、不在者は昭和三十七年九月二十一日までに当裁判所に生存の届出をされたい。届出のない場合は失踪宣告を受けることになります。また不在者の生死を知っていいる者は、右期日までにその旨当裁判所に届け出て下さい。

昭和三十七年二月十八日
家庭裁判所

安部公房『砂の女』より

兎にも角にも怖いのである。画面から迫ってくる不穏な空気が。不条理極まりないストーリー展開が。そして若い岸田今日子が。この映画を見たのは確か初夏の頃だったと思う。授業で見せられた安部公房原作の映画『砂の女』は当時の私に強烈な印象を残した。何しろ、死ぬ。と思ったのだ。閉所恐怖症気味の私にはこの閉塞感は恐怖以外の何者でもない。たとえそこに地平線が映っていようが、大空を舞う鴉が映っていようが、どこをきっても漂ってくる閉塞感。なんだ、この閉塞感。ああ、これが行き場のない行き場……。六畳一間の狭い部屋でひとり見ていたら窒息死だ。確実に。

脚本を安部公房自身が手がけたこの作品はかなり原作に忠実で、本を読んだことのある人ならそのまま現れる世界に驚くはずだ。砂穴に建つ家、そこに住む女、捕らえられた男。風で生き物のように刻々と姿を変える砂が美しい。これだけすばらしく原作を補完している作品も珍しいのではないだろうか。

何かと「分析」されがちな話ではあるのだが個人的には、自由とはどこにあるのか、穴を出て見渡した世界に男はいったい何を見たのか、なんてこと考えずにその息苦しいまでの不条理な世界を、美しい砂の動きと音楽を、岸田今日子の鬼気迫る演技を楽しんでいただきたいと思うのであります。怖いけど。

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7号 タイムスリップ・コンビナート

私の夢の中に出てくる灰色の海は、全部コンビナートの海でしかないのか。
……工場の敷地の静かな生け垣、真っ黒な雀、汚れた植物、休日出勤かオレンジ色のヘルメットを被った人が白っぽい作業服を着て、バインダーに留めた紙を持って、それをひねるように振り、少し疲れたふうに歩いている。工場の窓際には小さい鉢植えが沢山ならんでいる。その敷地に近いホームの部分が板で囲ってある。板とホームの隙間では焦げた金属のような、海が動く。―そこだけが夢の景色に思えた。夢のマグロのいない夢の海だ。
東芝の玄関前は植え込みになっているが、塀で囲ってあって海は見えない。ホームに戻ると華やかな女性は疲れたようなひどく悲しげな顔で黙りこくっていた。普段は無口なのかもしれなかった。
電車が走り出すと、振り返って大きな表示を見落としていたことに気付いたのだった。東芝の工場の壁の文字だ。工場と二十一世紀に向かって限りなく前進しよう、と書いてあった。

笙野頼子「タイムスリップ・コンビナート」より

四月某日 晴れ
はじめはお台場へ向かっていたのだった。よく晴れた日の春のドライブである。長年ペーパードライバーであった東京の道に不慣れな知人が運転をし、運転の出来ないこれまた東京の道に不慣れな私が助手席でナビをしているのだからこれで道に迷わないわけがない。嫌な予感がするよりもはやく、私たちは目的地を見失ってしまった。

そうして、若者たちで賑わっているデートスポットお台場を目指していたはずの私たちは、やたらと材木屋が立ち並ぶ通りを走りぬけ海に面した人気のない公園へとたどり着いていた。海沿いに配されたジョギングロードとかいうどこまでも続きそうな道を白衣を着たおじさんが犬を連れて歩いている。それ以外に人は見当たらなかった。対岸には観覧車が春霞のなかぼんやりと見える。はたしてあそこがお台場だったのだろうか。お台場に観覧車ってあるのだろうか。次はあそこへ行けるといいね。そもそもここってどこなんだろう。何はともあれ海を見ることが出来てよかった。よかった。と車に乗り込む前に買ってすっかりぬるくなったサイダーを飲みながらどうでもいいことをいつまでも話しあい、寒くなってきたので帰ることにした。帰りは道に迷うこともなく無事最寄り駅まで送ってもらった。じゃあまた、いつか。と知人と手を振ってわかれ、図書館に寄りブレードランナーのビデオを借りた。

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6号 影を踏まれた女

今まで、おせきは月夜を恐れていたのであるが、その後のおせきは、昼の日光をも恐れるようになった。日光のかがやくところへ出れば、自分の影が地に映る。それを何者にか踏まれるのが怖ろしいので、かれは明るい日に表へ出るのを嫌った。暗い夜を好み、暗い日を好み、家内でも薄暗いところを好むようになると、当然の結果としてかれは陰鬱な人間となった。
それが嵩じて、あくる年の三月頃になると、かれは燈火をも嫌うようになった。月といわず、日といわず、燈火といわず、すべて自分の影をうつすものを嫌うのである。かれは自分の影を見ることを恐れた。かれは針仕事の稽古にも通わなくなった。

岡本綺堂「影を踏まれた女」より

三月某日 晴れ
さっきから子どもがひとり、私の横を並んで歩いている。体の割りに大きなランドセルを背負った彼はどうやら私の影をふみふみ歩いているらしい。時折、家や木などの大きな影を経由しつつ、また私の側へと寄ってくる。「人の影を踏んではいけません」と叱ろうかと思ったが何とはなしに言いそびれてしまい、私たちはお互いに知らん振りをしたまま不自然な距離を保ちつつ歩く。いったいどこまでついてくるつもりなのか、このまま私の家に着いてしまっても部屋に入ってきそうな従順さで彼は私の影についてくる。

もしも部屋へ入ってきたならばそうだおやつを出してあげよう。と私は妄想する。ホットケーキミックスの粉が余っていたのでホットケーキを焼こう。しかし牛乳がなかったな。いやまてよ、これってやっぱり誘拐になるのだろうか。三十代独身女性、思い余って児童を誘拐。何に思い余ったのかはわからないがやはりこういう場合は思い余るんだろうなと愚にもつかないことを考えているうちにすっかり家の前を通り過ぎてしまった。そうして彼は一つ目の角をすんなり曲がって行ってしまった。いや、いつかはこういう日が来るって分かってたけどさあ。私も大人だしさあ。と捨てられた女のように愚痴愚痴と言いながら来た道を引き帰した。

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5号 兎

そして、私は散歩の途中、雑木林に囲まれた空き家の庭に迷い込み、疲れて石に腰をおろして休んでいた時、眼の前を、大きな白い兎が走るのを見たのだった。大きい、と言っても、それは普通の大きさではなくて、ほとんど私と同じくらいの大きさだった。けれど、それは兎であり、それが証拠には、大きな長い耳を持っていたし、ともかく、どこから見ても兎にしか見えないのだ。私は石の上からとび上がって兎を追いかけたのだが、追いかけて走っている時、まるで気を失うように、突然、穴の中に落ち込んでしまったのだ。気がついてみると、さきほどの大きな兎が私をのぞきこむようにして、すぐ近くにすわっていた。
「あなたは誰?」
「散歩していたんですけど、迷ってここへ入って来てしまったんです。あなたは、兎ですか?いえ、兎さんですか?」
「すっかり、そう見えるでしょう?」と、その兎は嬉しそうに咽喉をクックッと鳴らしながら言った。「でも、本当は人間なのです。多分。どっちでもいいような気も最近ではしますけれど」

金井美恵子『兎』より

二月某日 晴れ
それはもう、まぎれもなく兎だと思ったのだった。まぎれもないゴミ袋に中腰で近づいた午前一時のはなしである。酔ってはいなかった。おそらく、酔ってはいなかったと思う。

バイト先から家までの道の途中、大きな木の立つ公園を通る。そこは、しばしば二羽の兎を連れたおじさんがふらりと現れる公園だ。 ふらりと現れたおじさんはかごからそっと兎を取り出し、公園の芝へと彼らを放す。放された兎は耳もなびくほどに駆けたかと思うと急に動かなくなる。見事なくらい動かなくなる。いったいどんなリズムで動いているのか予想も付かない彼らなのである。

それはともかく、そういう光景を見ていたので、夜中にその公園でぶるぶると震えている白い物体を見たとき、何の疑いもなく頭に浮かんだことばは、兎の家出。

そうして捕まえようと中腰で近づくわけだね、ゴミ袋に。酔ってはいないのだがね。すっかり近づいてから自分の間抜け振りにしばし呆然とし、仕方がないのでそのゴミ袋の頭を撫で、隣のコンビニエンスストアでビールを買い、飲みながら帰った。

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4号 キッチン

私は毛布にくるまって、今夜も台所のそばで眠ることがおかしくて笑った。しかし、孤独がなかった。私は待っていたのかもしれない。今までのことも、これからのこともしばらくだけの間、忘れられる寝床だけを待ち望んでいたのかもしれない。となりに人がいては淋しさが増すからいけない。でも、台所があり、植物がいて、同じ屋根の下には人がいて、静かで……ベストだった。ここは、ベストだ。
安心して私は眠った。

吉本ばなな『キッチン』より

一月某日 雨
見知らぬおじさんと相合傘で歩いた。こういうことってたまにあるよね。いや、あるのか?はたしてあるのか?と、考えながら歩いている。図書館へ行ったら傘を盗まれたどしゃぶりな休日だ。この、見知らぬおじさんは「お入りなさい」と声をかけてくれた優しいおじさんで、私は傘に入るつもりじゃなかったのだ。が、しかし、結局断りきれずにこうやって一緒に歩いている。

むかしとあるホテルでバーテンダーをやっていたというおじさんは、定年退職をすると毎日が暇でね。と言って小さく笑った。寂しい身の上話でもされたらイヤだなと思って身構えていると図書館っていうのはいいね。とおじさんは続けた。たくさん人がいるのに静かでね。みんな無関係ってのがいいよ。独り言のようにそれだけ言うとおじさんはぷっつりと黙ってしまった。私たちは無言で歩く。

しばらくするとコンビニエンスストアが見えたのでお礼を言って別れた。別れ際、握手をした。コンビニエンスストアで立ち読みをしていたら雨が上がったので傘は買わずに帰った。

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3号 桜の森の満開の下

桜の森の満開の下の秘密は誰にも今も分かりません。
あるいは「孤独」というものであったかもしれません。
なぜなら、男はもはや孤独を怖れる必要がなかったのです。
彼自らが孤独自体でありました。
彼は始めて四方を見廻しました。
頭上に花がありました。
その下にひっそりと無限の虚空がみちていました。
ひそひそと花が降ります。それだけのことです。
外には何の秘密もないのでした。

坂口安吾『桜の森の満開の下』より

十二月某日 薄曇り
帰省して、祖父の墓を参ったらついうっかり眠ってしまった。実家のほうではそれぞれの墓が低い塀で囲まれており、石ベンチが備え付けてある。そこに横になって空をぼんやりと見ているうちに眠ってしまったらしい。

「風邪ひくよ」と通りすがりのおじさんに起こされた。雨は降りそうにないが晴れそうにもないうす曇り、鳶が低く、高く、ゆっくりと舞う。そんな夢を見ていた。側にあった桜の大木は一年前に切り倒された。代わりに、福山雅治が最上階の部屋を購入したと噂される高層マンションが見える。桜の木の奥に港が見え、造船所や通った学校や祖父が死んだ病院なんかが一望できるこの風景が好きだったのだが、大木が一本切られただけで、もはや全く違う風景になってしまった。

潮風をうけ、鳶は頭上を低く、高く、ゆっくりと舞う。鳶ってこんなにゆっくり飛んでたっけ。と、夢と同じ光景にしばし見蕩れた。帰省するとむやみにセンチメンタルな気分になるので困ったものだ。と墓を後にした。

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2号 さびしいといま

さびしいと いま/石原 吉郎

さびしいと いま
いったろう ひげだらけの
その土塀にぴったり
おしつけたその背の
そのすぐうしろで
さびしいと いま
いったろう

十一月某日 晴れ
たすけてえ、とどこからか声が聞こえた。図書館からの帰り道、休日の正午。住宅街は静まり返っており、人気はない。辺りを見回すが誰もいない。首をかしげ歩き始めるとまた、たすけてえと声が聞こえた。

振り返るとそこにはさっき見落とした声の主がいた。塀にぴったりと張り付いたおじさん。はっきりと見てはいけない気がして途端に私の眼は泳ぐ。おじさんはじっとこちらを見ている。きっと見ている。そんな気配なのだ。

カゲニトラエラレマシタ

かげ? 思いがけない言葉についおじさんを見てしまう。どうやら、塀がつくるわずかな影に捕らえられていて動けないらしい。

ああ、空が高い。見事な秋晴れなのでおじさんのことは見なかったことにして帰った。

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