お〜い、仏像さん (穂都ほと)

10号 曼荼羅六枚目

二月十一日
首を彫ることに集中していると、時間を感じない。肩のラインなんて良い形に整ってきたのではないだろうか。彫るときは常にそうだが、夕方お腹が空いてくると彫るのを止める。今日も止める。

六月九日
ここのところ、仏像を彫る気力がない。あまりに精神疲労が蓄積していて、すべてがどうでもいい。彫るどころでない。しかし、どうせ仏像らしき物体が手もとにあるのだからと、見つめて問いかける。私はどうすれば。答えなし。当然だ。仏像に貼られている税込み二九四円のシールが気になってしょうがない。ああでも、これが祈りの原体験かもしれない。私はこの仏像に祈ったのだ。今日は祈る日。

六月十三日
編集長から連絡あり。久しぶりに次号の「ルーエの伝言」に載るらしい。となれば彫らざるをえない。しかし彫ろう。毎度のことながら彫り始めれば、至極楽しい。今回は鼻筋を通そう。仏像の写真を見ていると、思いのほか鼻が高い。眉の部分も少し彫りすすめ、深く。調子に乗りすぎた。なんたること、眉に集中するあまり、目がなくなってしまった、さてどうしたものか。かといって、眉を彫る快感に勝てず、さらに深堀。このまま一気に仕上げたい。何もかも忘れたい。

6号 曼荼羅五枚目

十二月二十三日
作業は進み、もくもくと丸みを帯びさせる。少しずつ上へと彫りを進め、目の付近は仏像の写真で確認してより慎重に作業する。上手くいっているような気もするが、過ちを犯している気もある。そんな葛藤の中だが、遠めに見ればなんとかそれらしく見えるため、焦りは少ない。今日はもう終わろう。

十二月二十七日
この時期になると、どうしても今年を振り返ることになる。何があったのだろう、この年は。思い出せない。仏像があれば、それで良いという心持にも未だ至らず。

一月一日
年明け。

一月五日
今年、初彫りである。編集長に「彫っているなら、年越しの瞬間に彫れば良かったのに」と宣託を受ける。そうか。考えもしなかった。彫れば良かった。しかし、過去はもうない。

二月十日
早く彫って仕上げればよいものを。彫らない。しかし、この半月で二度ほど京都を旅する。当然、素晴らしき仏像を目の当たりにした結果、えらく触発される。なんて事だろう、ただ一つの像で、異界をつくりだせるのだ。己の彫る像もいずれは、と心に誓う。

二月十一月
彫る。やはり難しい。立体をつくりだすという事がこれほどまでに大変なこととは。テレビを見つつ、人の顔の立体感を観察。助かります、お昼のロードショー。人は案外、首が細いのだ。そこに気づき、首を細めることに集中しはじめる。

4号 曼荼羅四枚目

十一月八日
なんだか、彫れば彫るほどずぶ濡れである。ただ、やはり角をとる楽しさが尾を引いて彫り続ける。気づけばすでに夕方だ。一息ついて眺めてみる。良いといえる出来。ついでに親指も眺めてみる。むけているといえる状態。指の痛みをともなって冷静に考えてみると、自分が費やしたこの数時間が虚しく思えてくる。何やってたんだ。

十二月十六日
一月ほど彫っていない。理由は分かっているがここには書けない。動機なるもの、常に言語化するのは不可能である。

十二月十九日
つまり、飽いたということなのだろうか。彫れない理由をいくら考えたところで、他人から飽きたのであろうと言われればそれまで。飽いたのかもしれない。

十二月二十三日
こんな日だから彫るのも悪くないと思い仏像に手を加えてみる。前回は力仕事だっただけに今日は細かい部分をやろうと決める。顔である。どうすれば立体的に彫れるのか分からない。とりあえず、自分で描いた線に沿って刀を入れる。頬の部分が意外と彫りやすく、再び丸みを帯びさせることに熱中する。飽いたのではない、それが理由にならずにすんだ。彫れない理由も緩和されたようで救われる。

3号 曼荼羅三枚目

十一月八日
彫りはじめてしまえばこっちのもので、ひたすら彫る。まあ、まずはこの角をとっていくしかないだろう。おお!角がとれるとれる。しかし、気をつけねばならない。調子にのってバランスを考えずに彫ってしまっては元も子もない。ここからやり直す気力はないと自身、確信している。慎重に。前回と違って新聞紙を床にひいて作業をおこなっていることが功をそうして、新聞紙に着実に木屑が溜まってゆく。いいぞ、この木屑が溜まっているのが彫っているということの実感に繋がってゆく。そうまさに、イマ・ワタシハ・ホッテ・イルノダ。素晴らしい。いや、違う、彫っているのではない、私は木屑を生産している機械なのだ。木屑を生み出す永久機関。縄文時代から受け継がれし生産の喜び。さあ、木屑を生み出せ。ここで生まれた生産が世界のどこかで消費を生む。そして再び私の器官に組み込まれ焼きつき溶解し、絡み骨張り、木屑を生み出すのだ。おお、仏像が濡れている。泣いているのか。私の心も泣いているのだ。私に泣いているのだ……。えっ?濡れてる?汗?いや待て、手はそんなに汗をかかない。何だこれは。明らかに水をかぶっている。まさか…。親指。水ぶくれ。皮がめくれて、水がたれ。痛い。

さてどうしたものか。気分は最高にのっている。たかだか水ぶくれでしょ。問題ない。彫ろう彫ろう。

2号 曼荼羅二枚目

十月十五日
彫りはじめるにあたってまずは下書きをせねばならない。落書きなら小学校の頃から描き続けているわけで、何ら問題はない。ササッと描く。何と威厳のない顔。本当に落書きである。顔を描いたはいいが、いきなり顔から彫り始めたら、失敗したときの痛手が大きい。さてどうしたものかと思案し、彫刻刀をぼんやり眺めていると、懐かしい。小学校の頃は夢中になって、消しゴムや机を彫ったものである。高校の頃は授業中も机を彫った記憶がある。そう考えてみると、これまたここで彫ることを運命づけられているようだ。まぁ彫刻刀を見ているうちに、むしょうにマル刀を使いたくなったので、とりあえず首まわりからざっくり彫る。彫る。彫る。彫る。思いのほか木が固い。記憶ではもっとザクザクスイスイ彫っていけるはずなのに現実は違う。一刀ごとにひっかかりを感じ手が痛い。それでも続けるうちに、何だか形ができてくる。顔の下書きをするときにとってつけた、合掌した手、これが意外なほど効いて、早くもそれらしく見える。滑り出しはいい。

十月二十日
しばらく彫っていない。初めて彫った日に新聞を敷いていなかったせいで、終わりに気がつけば、床が木屑で大変なことになっていたのだ。これがトラウマとなり、彫る気がおきない。

十月二十九日
『ルーエの伝言』の創刊号、編集長が嬉々としてもってくる。こうしてできた物を見ると、良かったなと思う反面、重圧が増したのも事実。打ち上げで飲んでも酔えず、彫らず。

十一月一日
もはやここまでくると彫れないではない。自らの意志で彫らないである。要は締め切りまでに少しずつ仕上げておけばよいのだ。締め切りまであと二週間もあるではないか、何をあせる。あせる必要はない。

十一月五日
ここに来て今週は予定がつまっていて、休みの日をあまり使えないことが思い出される。そろそろやらねば、と思いつつ彫らない。これではまるで、夏休みの宿題だ。夏休みの終わりに宿題やっていなくて家中大騒ぎなどという記憶はほとんどないが、すべての宿題をやり終えて、夏の終わりを迎えた記憶はそれ以上にない。いいかげん良い大人だ。宿題を終えた新学期を迎えよう。

十一月八日
さて彫る。今日は顔の部分にも手をつけよう。まずはあごの部分をもう少し円くしていこう。角をとり、世界のあらゆる角ばった悩みもま〜るく収めよう。新聞は敷いた…。

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